北山五山周辺散策

公開日: 仙台・宮城, 歴史

北山界隈を散策する機会がありました。
まとめるにはちょっと規模が大きいのですが、せっかくなので備忘録的に残します。

北山五山

北山五山というと、「東昌寺」「光明寺」「覚範寺」「資福寺」、、、
そして5つめは「満勝寺」説と「輪王寺」説の2つがあります。

どの寺院も、伊達家にゆかりのある禅宗寺院です。
仙台城下が形成される中、北山付近に配置されており、「伊達五山」がもとになっています。

なぜ「北山五山」には説が2つあるのかというと、
「満勝寺」は、江戸時代中期に北山から東八番丁(柏木)に移転しています。
それで現在北山にある「輪王寺」が5つめに数えられているのですね。

仙台市史編さん室長である菅野正道さんの著書「せんだい歴史の窓」にはこう書いてありました。

江戸時代には「北山五山」の語や制度は存在せず、明治以降に作られた言葉であるようだ。仙台城下にある寺社の名鑑「仙府神社仏閣案内記」では、東昌寺・覚範寺・資福寺・光明寺・満勝寺の五ヵ寺について「五山」の注を付しているが、これは仙台城下全体の中での「五山」という意味であり、強いて言えば「仙台五山」であろう。私見では、「北山五山」と称するなら、今も北山にある輪王寺を加えるのが自然であり、満勝寺を加えるのであれば「仙台五山」とでも言うのが妥当と思われる。

ネットで調べてみると、江戸時代から「北山五山」と呼ばれているかのような説明が多いように思います。
そして、何を根拠に「北山五山」と言ってるのかは、説明がないように思います。

近代になって「北山五山」と呼ばれるようになったのであれば、輪王寺を含めたものを「北山五山」と呼ぶほうが自然かな、と私も思いますが、現在でも2つの説が通っているので、どちらかに決まることはなさそう・・・

今回散策したのは菅野先生がおっしゃっている「北山五山」です。
お寺を見たというよりは、主に墓碑です。

伊達五山

鎌倉時代、伊達家四世政依によって、伊達家の菩提寺として建立された臨済宗の寺院です。
「東昌寺」「満勝寺」「光明寺」「観音寺」「光福寺」を指します。
京都五山・鎌倉五山にならい、「伊達五山」と定められました。
のちに「観音寺」と「光福寺」は廃寺となり、「資福寺」に吸収されました。

無為山 東昌寺

1283年(弘安6年)伊達家四世政依が伊達郡桑折に自分の菩提寺として開基、
以後、伊達氏と一緒に、米沢、岩出山と移り、1601年(慶長6年)に北山に移ってきました。
五山の中で、輪王寺とともに核となったお寺だそうです。
1873年(明治6年)、青葉神社創建のために2230坪を提供し、現在地に移ります。
満勝寺があった場所に少しずれた形だと思います。

山門の扁額「無為」の字は山岡鉄舟の書と言われています。
東昌寺山門
東昌寺山門扁額

仙台市の保存樹木に指定されているアカマツ。(推定樹齢350年)
東昌寺アカマツ

仙台市指定保存樹木でもあり、国の天然記念物にも指定されているマルミガヤ。(推定樹齢500年)
伊達政宗公が鬼門除けとして植えたものと言われています。
東昌寺マルミガヤ
東昌寺マルミガヤ

マルミ(丸実)ガヤの実。丸いですね。
東昌寺マルミガヤ

松蔭山 光明寺

光明寺
1283年(弘安6年)伊達家四世政依が、福島県伊達郡の朝宗夫人墓所跡に創建しました。
創建後320年くらいの変遷は不明ですが、1604年(慶長9年)に伊達郡より北山に移ってきました。

光明寺といったら、やはり「支倉常長の墓」
墓所といわれている場所は5つありますが、その1つがここにあります。
五輪の塔だそうで、よく見ると、「水」「火」と刻まれているのが見えます。
下から「地輪」「水輪」「火輪」はありますが、上の「空輪」「風輪」の石はありません。
墓前ある石に「奉献支倉斎常信」と刻まれていたことなどから、支倉常長の墓だと言われています。(常信は常長の孫)

支倉常長のお墓

この墓石のそばにルイス・ソテロの記念碑があり、支倉家のお墓が並んであります。

下の写真は、墓の手前から撮ったものです。
奥に五輪の塔があります。写真右手の石碑が「支倉六右衛門紀功碑」です。
光明寺支倉常長の墓

遠山 覚範寺

1586年(天正14年)伊達政宗が父である輝宗の菩提寺として、米沢に創建しました。
政宗の師である、虎哉宗乙が開山しました。
覚範寺も、岩出山を経て、1600年(慶長5年)仙台の愛宕山に移ってきますが焼失してしまい、1602年(慶長7年)に北山に再建されました。

政宗公は江戸で亡くなりましたが、仙台に入るとまず覚範寺に移送され、その後現在の大願寺がある場所で葬礼が行われています。(大願寺には灰塚が残されています)
覚範寺に移送された理由としては、父の菩提寺であること、母の墓所があること、人生の師である虎哉宗乙が開山したこと、などが考えられているそうです。

覚範寺

右が保春院の墓。左が伊達宗清供養塔
保春院は、伊達政宗の母義姫(お東の方)。
伊達宗清は、政宗の三男。
覚範寺保春院の墓伊達宗清供養塔

慈雲山 資福寺

弘安年間に、長井時秀が米沢の夏刈に創建。
その後伊達氏が米沢を支配するようになり、1572年(元亀3年)に輝宗が虎哉宗乙を招いて中興開山しました。
この時に観音寺と光福寺が吸収されています。
1591年(天正19年)には岩出山、1600年(慶長5年)には仙台の谷地小路(東七番丁)を経て、1638年(寛永15年)に北山に移転しました。
伊達家三世義広夫妻の菩提寺でもあります。

あじさい寺として有名ですが、この時は少し咲き始めた程度でした。
それにしても、繁りすぎてて本堂がよく見えませんね。
資福寺

平和観音碑。
土井晩翠が描いた観音像と、白隠禅師の賛、裏面には志賀潔の賛が刻まれています。
彫刻したのは月田文治です。
資福寺平和観音碑

五日市憲法草案記念碑。
五日市憲法草案を起草した、自由民権運動家である千葉卓三郎の業績を讃えた記念碑だそうです。
卓三郎は、現在の宮城県栗原市志波姫に、仙台藩士の子として生まれました。
資福寺五日市憲法草案記念碑

金剛宝山 輪王寺

1441年(嘉吉元年)、伊達家十一世持宗が、伊達家九世政宗夫人の所願により、福島県梁川に創建しました。
伊達氏の移動とともに移転しますが、輪王寺はそれが6回もあるので「輪王寺の六遷」と称しています。
北山に移ったのは1602年(慶長7年)です。

輪王寺の山門。
1691年(元禄4年)、仙台藩四代藩主綱村が建立しました。
1876年(明治36年)の大火により、北山一帯の寺院は焼失しました。
その時に、唯一残ったのがこの山門です。
仙台市の有形文化財に指定されています。
輪王寺山門

赤痢菌の発見で有名な志賀潔の墓。
輪王寺志賀潔の墓

白虎隊でただ1人生き残った、飯沼貞吉(貞雄)の墓。
墓は会津若松の方向を向いています。
輪王寺飯沼貞吉の墓

輪王寺にあるお墓でもう一つ気になったのが「野口増蔵の墓」
(写真撮ったつもりが・・・)
仙台空襲で焼失してしまいましたが、仙台城唯一の遺構であった「大手門」「隅櫓」の復元に尽力した方です。
再建のための資金が思うように集まらなかったために、私財を投じて着手したとのこと。
大手門は再建には至りませんでしたが、現在、隅櫓が見られるのはこの方のお陰なんですね。
ちなみに、資金が集まらなかったのは、仙台城本丸にある伊達政宗公の騎馬像の再建がこの時期と重なったこともあるようです。
野口増蔵氏が製作した「大手門」「隅櫓」の模型は仙台市戦災復興記念館にあるそうです。

青葉神社

北山散策と一緒に青葉神社にも行きました。
青葉神社の社殿は仙台城にあったそうです。
明治に入り仙台城が廃城になったあとで、伊達政宗公を慕う旧家臣たちが神社建立を願い出て、1874年(明治7年)に移転造営されました。
祭神は仙台藩祖伊達政宗公(神号:武振彦命)です。
青葉神社

以下は拝殿内の写真ですが、あとで削除するかもしれません。

拝殿の中にある御神体です。
鏡です。映っているのは自分の姿なのに、誰かに見つめられてるような気がします。(私だけ?)
御神体

拝殿内の大きな2つの絵馬が飾られています。
「お野初め」(上)と「人取橋合戦図」(下)
絵馬「お野初め」
絵馬「人取橋合戦図」

五代藩主吉村公が元文元年に作らせたという「時の太鼓」
仙台城本丸の詰門から石垣沿いを降りて突き当たり付近に「太鼓部屋」があって、そこで時を告げたそうです。
城の取り壊しとともに、民間に払い下げられましたが、明治8年に青葉神社に奉納されました。
今も夏は朝6時、冬は朝7時にここで打ち鳴らされているとのこと。
拝殿内で鳴らすとものすごい大きな音がして、体にビリビリくるほどです。
東日本大震災の時は、張り替えのために新潟にあって、難を逃れたんだそうです。
時の太鼓

仙台・青葉まつりのパレードで見る太鼓と似てると思いましたが、違いますね。
仙台・青葉まつりの太鼓

東日本大震災で崩壊した鳥居は完成していました。
桜の時期にはまだ工事中でしたが、青葉まつりの前にはできあがったみたいですね。
青葉神社鳥居

さいごに

今回3時間半ほど散策しまして、まとめたのは個人的に「へぇ〜」と思ったものが中心です。
そもそも歴史が得意ではない私ですが、お寺とか神社とかについては基本的なこと、言葉の意味さえよくわからないため、調べながら何度も中断してやっと書き終わった・・・という感じです。
難しい説明は省いて、自分で理解できることだけにしてしまったため、役に立つ内容ではありませんが、個人的にはすごく勉強になりました。

北山にあるお寺には、仙台の歴史を造ってきたたくさんの方が眠っていることを今回初めて知りました。
ここに挙げたのはほんの一部ともいえないくらいの一部です。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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